どうも、札幌の弁護士の立花です。
3月下旬と言えば、卒業式ですね(ちょっと遅いか?)。
私は、卒業式と言えば、2つの思い出があります。
一つは、中学生の時。中学生の時、私は生徒会長に選出されていたので、卒業式の日、生徒を代表して挨拶を行いました。
これ自体は、すごく感慨深い良い思い出として私の人生に刻まれています。
この話で終わったら、このコラムは、つまらないですよね。
もう一つの思い出が高校生の時の卒業式です。
高校三年生の時、私は、全く高校になじめず、クラスでもかなり浮いた存在でした(今もかもしれませんが・・・)。
当時、卒業式の練習は、学校側で時間をとって行うといったものではなく、有志の人が人を集めて練習するといったものだったように思います(この辺は、かなり曖昧で実際がどうであったのか思い出すことはできません)。
その有志の卒業式の練習ですが、立花少年、クラスで浮きすぎていたため、卒業式の練習に呼ばれなかったのです(少なくとも誰にも告知されず)。
すると、当日、なんてことでしょう。卒業式にクラスで入場する際、私以外の男子生徒みんなダンス(?)のパフォーマンスで入場するのです。
突然のことで、困惑する私(立花)。
ただ、自分だけ何もしないとかえって目立ってしまいます・・・
そこで、私は、周りの人のパフォーマンスに何とか合わせようと2テンポ遅れたダンスを披露します(その様は、まるでタコ踊りでした。)
無論、そのダンスは、浮きまくっていたことは言うまでもない・・・
卒業式の受難は、まだ終わりません。
入場後、今度は、卒業生が歌を歌うことになっていたのですが、何を歌うのか練習に呼ばれていないので、当然知らされていませんでした。
にもかかわらず、私は、父母席の真ん前の席(卒業生の最後尾)に座っていました。
すると、どうでしょう、何の曲かもわからない「謎の曲」が流れ、皆が涙し歌っているとき、父母席から最も注目される席で、なんだかよくわからない知らない曲を「口パク」しているという状況が生まれたのです。
これ、実際に経験するとかなり厳しいです。
このように、高校の卒業式は、どう考えても当時の人生史上、最も苦しい時間帯でした(その後、自分史上苦しい状況は、何度も更新されます)。
ですが、そういった苦しい時間もいずれは終わります。
卒業式を何とか終えたとき、まさに「支配からの卒業」を感じました笑
このコラムで私が伝えたいことは、一つ・・・
こういう苦しい状況を経て、メンタルが鍛えられている弁護士立花志功をよろしくお願いいたします(苦しい状況のやり過ごし方身に着けています)。